いじめは人間の本質の一部分なのだろうか。
ハラスメントというより、刑事事件に近い気がするが。
「殺してぇな」上司の罵声2時間 自殺遺族、ヤマト提訴:朝日新聞デジタル
アマゾンとの送料値上げ交渉、サービス残業など何かと注目されているヤマト運輸。
アマゾンプライム会員としても心が痛む。
要はいじめだ。
学校でのいじめ問題もよく取り沙汰されるが、
詰まるところ、この手の問題は子供も大人も関係なく同じ「何か」の現れなのか。
この事件は同じ会社の上司と部下と言う関係性から、パワハラというカテゴリーに定義された。
そもそも、
社長であろうが従業員であろうがどのような業務であろうが、
突き詰めれば、会社(組織)の利益創出という目的のために
自分の時間と労働力を提供しているという共通の役割がある。
つまりは同じ目的の仲間だ。
個々人の性格として反りが合う合わないはどこにでもあるが、
仲間への攻撃は、
自分自身にとっても生産性のない時間であり
同時に相手と組織の生産時間を奪うのであるから
会社員の立場の共通目的に反する。
その点で言えばこの事件は
会社の利益のために「所長」という役割がさせた行為ではなく、
何らかの別の理由で起きたことといえる。
動物の社会でも、いじめはあると聞く。
生存や遺伝子継承の視点で合理的に説明できる部分もあるだろうが、
人間社会のいじめも本質は同じなのだろうか。
スタンフォード監獄実験
では、
与えられた役割によって
個性が変わり理性が欠如していく様が記録されている。
こちらは役割と設定された環境による影響だ。
この実験については
「環境が人を変える」と言われるように、
外的要因から心理的な変化がもたらされると解釈していたが、
違う側面もあるのではないか。
先のヤマトの事件が
「ひどい上司」と「抵抗できない部下」
という役割と性格だけでは片付けられないと思うのだ。
抵抗できない相手に対して、とことん残酷になれる。
これか。